共感だけでは足りないし、共有だけでも足りない

fujirock

さて、前回、前々回と音楽産業について書いてきたわけだけど、
今日も変わらずその続きを書こうと思う。

前回のブログはこちらから。
音楽はもともと無料のものだったのだ

音楽は『所有』よりも『共有』で事足りてしまうのか

音楽が今一度、売れて僕らの生活により大きな価値を生む可能性、
それはコンサート(フェス)とソーシャルメディアと数ある音楽webサービスではないかと書いた。

なぜ、コンサート(フェス)の動員数が伸びているのか。
それは『商品』よりも『場』に対するお金の使い方へ変化していることを考えてみた。

この『場』に対するお金の使い方が変化していることを前提とした場合、
核となるのは、やはりコンサート(フェス)だ。

問題なのはCDショップ、アーティスト、レコード会社、プロモーター、プラットフォーム、
音楽サービス提供会社が
有機的に交わらず、各自バラバラで戦略を練り、単発で終わってしまっていることだ。

フェス前にはCDショップで『フジロック決定!』とか『サマソニ参戦!』などと謳い、
フェス特集のようなブースが出来上がるが、それだけだ。そこにレコード会社もアーティストも
積極的に連携しようとしているように見えない。

同時にプロモーター側も単発で終わっている印象だ。
フェスサイトに行けば、各アーティストの紹介とmyspaceへの導線はあったりするけど、
それだけだ。myspaceで視聴して、お!と思えばCDを買うかもしれないし、
フェスで見てみようと思うかもしれない。会場でもCDを販売しているが、
そこまで売れているとは思わない。

ひとつひとつの力は素晴らしいのに、絡み合っている気がしない。

改めてゴールを考えてみる。
CDの売り上げを伸ばすこと。

そのためにコンサート(フェス)を中心に、琴線に残る音を奏で、
生の音が人の心を震わせ、人とその場所でつながり、共感し、その人の人生の一部になったとき、
その音楽はお金を出してでも、そばに置きたいと思うようになる。

それが出来るのがコンサート(フェス)の最大の魅力だと思っている。

それを実際に行うためには、店舗、レコード会社、アーティスト、プロモーター、プラットフォーム、音楽サービス提供会社の一致団結した協力が不可欠になる。

ただし、それだけでは足りない。
その橋渡しを行うのはソーシャルメディアであり、各種音楽サービスなのだと思っている。

具体的にはコンサート(フェス)前とコンサート(フェス)最中とコンサート(フェス)後の3段階に分かれる。そして、キーワードは『共鳴:レゾナンス』だ。

共感だけでは足りないし、共有だけでも足りない。突破口を開くのは『共鳴:レゾナンス』のような気がしている。

次回はそのあたりを具体的に考えてみたいと思う。

・・・連載みたいになっちゃったな(苦笑)