『あの花』から広がるソーシャルメディアコンテクスト

先日、ノイタミナで大好評だったアニメ
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以下『あの花』)が再放送された。
4夜連続ということで、リアルタイム時に見逃していた私は非常に楽しみにしていた。

今回は『あの花』から広がるソーシャルメディアコンテクストについて考えてみたい。

現在の音楽と過去の音楽の配置

『あの花』はとても音楽を大事したアニメだったように思う。

主題歌はガリレオ・ガリレイ、エンディングテーマは
ZONEの名曲「secret base」のカバー。そして、劇中音楽は岩井俊二の過去の作品で素晴らしい音楽を作ってきたREMEDIOS。

そして、何より素晴らしいのは作品の世界観と狂いなく調和を伴った音楽であったということ。

『あの見た花』を見たことがない方に向けて簡単に説明すると、

幼い頃は仲が良かった宿海仁太、本間芽衣子、安城鳴子、松雪集、鶴見知利子、久川鉄道ら6人の幼馴染たちは、かつては互いをあだ名で呼び合い、「超平和バスターズ」という名のグループを結成し、秘密基地に集まって遊ぶ間柄だった。しかし突然の芽衣子の死をきっかけに、彼らの間には距離が生まれてしまい、それぞれ芽衣子に対する後悔や未練や負い目を抱えつつも、高校進学後の現在では疎遠な関係となっていた。

高校受験に失敗し、引きこもり気味の生活を送っていた仁太。そんな彼の元にある日、死んだはずの芽衣子が現れ、彼女から「お願いを叶えて欲しい」と頼まれる。芽衣子の姿は仁太以外の人間には見えず、当初はこれを幻覚であると思おうとする仁太であったが、その存在を無視することはできず、困惑しつつも芽衣子の願いを探っていくことになる。それをきっかけに、それぞれ別の生活を送っていた6人は再び集まり始める。
(参考:wikipedia)全11話。

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映像や物語といった感情を揺さぶるものが、音楽との相乗効果で化学反応が起きたときに訪れる「感情共鳴」なるものがしっかりと設計されていたように思う。

それは脚本もさることながら、オープニングやエンディングの楽曲と映像のカット割りなどの同期性がきちんと適合されていた。

それは映像を+1にも2にもするし、同時に楽曲の魅力も+1にも2にもする。
ただのタイアップというよりも、作品の世界と楽曲の世界が合致するとその輝きは何倍にも輝く。

そういった意味で「今を走る」ガリレオ・ガリレイの楽曲を配置し「過去を思い出す」ZONEのカバーは非常に秀逸だったように思う。
それぞれの楽曲自体も本当に素晴らしかった。

現在と過去をつなぐ。
それはアニメでも描かれるテーマでもある。
現在の音楽と過去の音楽の配置が絶妙なアニメだったのではないか。

過去の記憶・体験から揺り起こされる音楽<

『あの花』を見たときにそれは否応なく自身の記憶を呼び戻す。

秘密基地。幼なじみ。神社。匂い。山。友達。抜けるような青空。
それはアニメと同じ世界ではなかったけど、どこか似た世界を生きたような感覚に襲われる。

その中で流れるZONEのカバーの「Secret Base」
思い出し、回想し、記憶の音楽が現れる。

28歳の私はZONEは時代のど真ん中だった。誰でも知っている曲だし、よく聴いた。

今の時代のようにそこまで細分化されていない音楽は学校で会話されるみんなの共通の話題だった。
昔のテレビのように、たった5分の楽曲は共通言語として機能していた。

だからこそ、『あの花』を見て同じ世代の人々はまた聴きたくなったのではないだろうか。

CDを引っ張りだす。iTunesを探す。レンタルCDに出向く。
カラオケで歌う。youtubeで探す。

『あの花』をきっかけにして共感したユーザはアクションを起こす。
ソーシャルメディアによって、『あの花』が語られる。音楽が語られる。記憶が語られる。

その導線設計が巧みで秀逸であったなら、『あの花』から広がる大きな広がりがあったはずのように思う。webサイトでもtwitterでもmixiでもfacebookでもユーザが『あの花』から紡がれる文脈の数々を用意してあげられていたらもっとよかったのになあと思う。

音楽は過去から現在へも、現在から過去へも自由に行き来できる。
だからこそ、音楽は残り続け、聴かれ続ける。

ソーシャルメディアコンテクストを設計する

そもそも『あの花』で歌われているZONEのカバーはあくまでカバーだ。実際は声優さんが歌われている。
そういった形で、作品から声優から今一度音楽を届ける方法もある。

あわせて各店舗用に特別ポスターなどを特典としてつけ購入を促している。
ガリレオ・ガリレイも初回版には『あの花』の絵コンテを封入したりして『あの花』ファンをガリレオ・ガリレイにつなげる方法を実施している。

まず作品の素晴らしさがあり、ガリレオ・ガリレイファンや記憶を揺り起こす物語性とZONEの楽曲選定、ノイタミナというブランド、秩父というローカル性、サウンドプロデュースVOCALOIDシーンにおけるプロデュースユニット「estlabo」、そして監督スタッフ。あらゆる切り口からアニメ『あの花』を知ってもらう仕組み、もしくは『あの花』から広がる道筋はあったように思う。

そこで、では音楽という要素を引っこ抜いてみた場合はこの『あの花』をきっかけとした仕掛けはもっとできたのではないかと思う。特にZONEというアーティストもしくは「secret base」という楽曲において。

もちろん、何もしていなかったわけではない。
2011年8月にZONEは再結成を果たした。
タイミング的にも歌詞との相乗効果も相まって素晴らしかったと思う。

世の中の空気づくり(戦略PR)とユーザの記憶、『あの花』といった欠片の数々を紡いで一本の糸にすることができたはずだ。

共有や共感を個々人で完結させることなく、ソーシャルという空間でその想いを増幅、補完させることができてもっと各それぞれのソーシャルグラフやインタレストグラフの中でZONEという文脈、secret baseという文脈、共通した時代の言語としての文脈など
多くの語られるソーシャルメディアコンテクストがあったのではないかなあと思う。

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つながることで、大きなムーブメント起こすチャンスが生まれる

『あの花』からZONEを語る。『あの花』からsecret baseを語る。『あの花』から当時の記憶を語る。
『あの花』から派生して広がるつながりは、それぞれを補完しあい、結晶の密度を高める。
そして、そのつながりは濃くなり、広がれば広がるほど、その結晶は強く輝き出す。

記憶と体験というものと音楽は密接に結びつき、そこには思い出や匂いや景色や感触、色、友達や特別な人や自分が大切にしているものと自動的につながり、それは人と共有、共感しあうことで、再び新しい結晶を生む。

それはクワトログラフを最大化させ、Tribe(部族)を意図的に作り出すことで可能になる。
あらゆる切り口から音楽は光を放てる。そして、そこに集うTribe(部族)によって、強い光を放つことができる。そして、それはやがて大きなムーブメントを作り出すことがある。

複数のtribes(部族)は連結し、結合する。そうすると、多重性を生まれ、より様々な切口のつながりが生まれてくるし、互いを補完しあい、共有、共感の仕組みが発生する。
クワトログラフを架け橋として、ライトユーザもヘビーユーザも巻き込んでTribe(部族)を形成させ
共有・共感を作り出す。その積み重ねが「ソーシャルレゾナンス:共鳴」へつながっていく。

今まではユーザ自身が「勝手に」コンテンツと記憶を「重ね合わせ」ていたものが、ソーシャルメディアによって「意図的に」コンテンツと記憶を「組み合わせる」ことが可能になる。そこにはtribe(部族)という共有と共感の可視化が生まれ、それがつながり、広がっていくことに大きな可能性を秘めているように感じます。

とてもとても素晴らしいアニメであり、音楽たちであると思うから、もっともっとソーシャルメディアによってできることがある気がします。
ソーシャルメディアは人だ。人だからこその想い、記憶、体験、経験、共有、共感が生まれる。

それにしても、『あの花』はよかったです。
思い出すと涙が。。素晴らしい作品だったと思います。


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