ライブストリーミングは共鳴の増幅装置となる可能性を秘めている

USTREAMの登場により音楽だけに限らず表現の幅は大きく広がったと思う。
USTREAMだけでなく、Youtube Liveも含め、こと音楽においてはライブをインターネットで生放送するという形が生まれた。
ライブ以外にも記者会見やセッション、ドキュメンタリー、DJ、イベントなどUSTREAMの上に音楽コンテンツを載せて届けることは日常的になってきた。

ただの生放送ではなく、そこにソーシャルストリームという要素を加えることで今までにない形のパブリックビューイングが生まれたように思う。

今回は通常のライブだけじゃないUSTREAMについて考えてみたい。

宅フェスにみるライブの形

最近の事例で言うとサントリーがポップカルチャーニュースサイトのNatalieと一緒に実施した宅フェスがある。サントリー「ほろよい」は、お酒が苦手なヤングに向けた宅飲みのためのお酒、という商品で、宅飲み→みんなで音楽を聴く→宅フェスということである。

宅フェスという(フェスなのか?)という気もするが、これは単純なライブと違ってなかなか興味深く素晴らしかった。

takunoi3.pngのサムネール画像

まずBonnie Pinkをブッキングした点。
『ほろよい』というコンセプトとBonnie Pinkの楽曲の親和性がとても高く同時にBonnie Pinkという誰でも一度は聴いたことがある(楽曲名は知らなくても)選曲は、ユーザの記憶を刺激し、ソーシャルストリームによってつながる、共有することができる。

2つ目にアコースティックライブであった点。
Bonnie Pinkの選曲もさることながら、こじんまりとしたエリアに実際にお客さんを呼び食事やお酒を飲みながら、身近で親しみやすい空間を演出する。それをソーシャルメディアで拡張させる。あわせて事細かな台本がないことで、ラジオのようにBonnie Pinkの人柄やニュアンスを感じることができて、楽曲のみでの認知から、アーティスト自身へ移行することができるようになる。

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USTREAMはリアルでしか味わえない【共鳴】をソーシャルメディアを通して拡張させることができる点が何よりも素晴らしい。

3つ目はライブ時間が絶妙であった点。
20時から始まったこのライブは21時程度で終了した。実質約1時間ほど。この長さが非常に良かったと思う。もっと言うと始まる時間がもう少し遅いと尚よかったなあと思う。金曜日の20時というのは、今回のターゲットがアクティブな時間帯だったのだろうか。

放送時間がこれ以上長すぎると見られなくなってしまう可能性もあり、逆にこのくらいの長さのほうが、物足りなさ感を感じさせて、価値を高めることができるのではないかと思っている。

このBonnie Pinkのブッキング、ハンドメイドなアコースティック、ライブ時間がとても優れていて、他のUSTREAMにはないライブ企画だったように思います。

また、「UST見ながら、聴きながら音楽っていいよね」というイメージがユーザの中で形作られたならとても素敵なことだろう。ほろよいしながら、音楽を聴く。映画を観る。自分の時間を大切に過ごす。そんな意識付けがこの企画からユーザの中に芽生えたらいいなあと思う。

アーティストのライブを生放送することも価値はある。
しかし、消費可能情報量が限りなく少なくなっているいま、友人のアクティビティやオススメでもその時間をいただくのはなかなか至難の技だ。

そういった意味で今回の「宅フェス」はとても素晴らしかったように思います。
ポップカルチャーニュースサイトのNatalieと組んだこともコアなファンをまず巻き込んで、ライトファンへ広げていくような導線だったのかなと想像する。

Bonnie Pinkがより届くようにすべきこと

この企画はそもそもサントリー「ほろよい」ありきの企画でまずは音楽よりも「ほろよい」にプライオリティは割かれていたと思うのだけど、このライブを見ながらもう少しBonnie Pinkの楽曲へたどり着く導線があったらもっともっと素晴らしくなったような気がしている。

例えば、Bonnie Pinkはライブの中で過去の代表曲も織りまぜながら最新のセルフリメイクアルバムの楽曲も披露している。

ソーシャルストリームを見ていると、過去の代表曲であればあるほどユーザは盛り上がり、【共有】【共感】している姿が見受けられた。

CDやiTunesに入っているユーザなら、きっと聴くだろう。
では、楽曲を持っていないユーザはどうすればいいのだろうか。

ナタリーのサイトに行くと本企画の特別ページがありそこには最新のアルバムへのリンクが貼られている。

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それはそれでいいと思うのだけど、ライトファンは遷移するだろうか。このナタリーTV内で閲覧していたユーザには可能性がある。でも、例えフル視聴が無理でも私は最新のセルフカバーアルバムを聴いてみたかった。遷移することなく。私の中でBonnie Pinkのある記憶が熱度を伴った状態で想起されたから。ただし、USTREAM内で見ていたユーザには届かなかった可能性がある。

あの素敵な空間をUSTREAMによって【共鳴】を拡張させた場合の、その楽曲を【今】【鳴らしている】【Bonnie Pink】への深堀りがもっとできたら、より素晴らしかったように思う。

ソーシャルメディアで共鳴を生み出す可能性

そもそも【共鳴】が可能になる場所はリアルだ。
ソーシャルメディアでできるところは、【共有】と【共感】までだが、それをUSTREAMは稀に超える時がある。

ライブハウス、フロアというのはそれ自体が「身体性」を伴った場所だ。そこにソーシャルストリームという要素が加わることで、共時性を纏まったオーグメント(拡張)が起きる。そして、それはyoutubeのような基本的に「過去の時間」を扱うものでは生み出せないものだ。

それは「いま、観る」という価値がUSTREAMでは存在するからだと思う。DOMMUNEが未だにアーカイブをしないのは、そういうことも理由のひとつとしてあると考える。それは「生」という生きている映像と音楽だからではないか。

そして、今後USTREAMを用いる際に考えていきたいことは、テレビの劣化版になっていないかということだ。GyaoやAmeba Visonなども昔はスタジオを持っていたが、なくなってしまった。そこには「臨場感」だったり、「生もの」だったり、「瞬間性」だったり。そういったテレビ番組とは違うベクトルでのライブストリーミングが今後より一層重要になってくるのではないか。

これからもいろいろな形でのUSTREAMを活用した音楽コンテンツは増えていくだろう。
その際に忘れてはならないことは、身体性を伴ったリアルな場所があり、そのPCの先には無限のライブハウスが広がっているということ。その向こうにたくさんのネットを通して「人々が参加していること」「声をあげていること」「つながっていること」そして、そこには生のTribe (部族)が形成されるということ。

コンテンツトリガーとしてのUSTREAMは【共鳴】の増幅装置になる可能性を秘めている。そこにソーシャルストリームが重なって、弾丸はソーシャルメディア上に発射される。面白い時代だなあと思う。

USTREAMから【共鳴】をオーグメント(拡張)する。そして、その場で行われている熱度を「いま、この瞬間」ソーシャルストリームによってつながることができる。それは逆に正真正銘リアルではできにくかったりもする。

USTREAMというものをうまく活用することで、【共有】【共感】に加え、【共鳴】へも辿り着ける可能性を秘めている。それはひとつの音楽コンテンツを切り開く新しい道筋だ。

終わりに

さて、話は宅フェスに戻って、私はこの企画によって久しぶりにBonnie Pinkとつながり、音楽を聴き昔、よく聴いていたことも思いだし、記憶を回想し、Bonnie Pinkから好きなったスウェディッシュバンドのThe Cardigansを想起し、Bonnie PinkとThe Cardigansを聴きながらスウェーデンのストックホルムのフェリーから見えた景色を思い出す。

そうやって、過去を紡いでくれた今回の宅フェスに感謝します。
ありがとうございました。

また、今回以外にも様々な新しい形でのUSTREAMを使った事例がある。
それはまた別の機会で考察したいと思います。サカナクションとか。

個人的には「Last Kiss」と「Heaven’s Kitchin」が大好きでした。
The Cardigansでは「communication」がたまらんです。


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