ソーシャル時代のレーベルのあり方

音楽の単位はどんどん細分化され始めている。
アルバムやアーティストという単位が分解され、1曲1曲にフォーカスされるようになってきた。それは一長一短あると思うのだけど、今回はこの分解されている時代のレーベルについて考えてみたい。

横のつながりをレーベルが紡ぐ

CDでもダウンロードでもレンタルでも気になったアーティストないし楽曲がどこの
レコード会社に所属していることはユーザからするとあまり大きな問題ではない。

ソーシャルメディアの普及によって、音楽を簡単に共有できるようになった今、「このアーティスト、この楽曲を聴いている人はこんな曲も聴いています」というソーシャルリコメンドはひとつの有効の手段ではある。

ただし、音楽の広がりを偶発的であれ、意識的であれ、音楽に出会う際のセレンディピティはすこしばかり少なくなってしまったのではないか。確かに関連するアーティストや楽曲をオススメしてくれることは、自分の中でヒットする可能性は高いし、好きになる可能性は高い。

時代はユーザ(消費者)が主体となり、その中でソーシャルグラフやインタレストグラフから音楽が交流され、共有され、新しい音楽体験が生まれていく。それは素晴らしいことだ。

でも、もっと音楽を届ける側が主体となって音楽を届ける、知らせる、興味を持ってもらうことも同じくらい重要なことだと思っている。すべてがユーザ主体なんて面白くないし、あるべきではないと思っている。その中でひとつの可能性があるのがレーベルだと思っている。

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レーベルのTribeを生み出す

レコード会社とはシネコンに近い。
様々なジャンルの音楽があり、アーティストがいる。
ユーザはその映画館に興味があるわけではなく、そこで上映している映画が目的で訪れる。そこには多彩な映画の種類があり、好きなモノを選べる。

一方、ミニシアターと呼ばれるものは、映画の内容もさることながら、そのミニシアターに対しての信頼や安心を内包している。

シネマライズで上映しているのなら、きっと面白いだろう。
シネクイントで上映しているのなら、きっと外れないだろう。

そこにはひとつのブランドがあり、信頼がある。
そこに集うファンがいる。シネマライズだけの空気がある。
シネクイントだけのチョイスがある。ユーロスペースの期待がある。

だから、シネマライズのファンがいて、シネクイント、ユーロスペースのファンがいる。
売上はシネコンに比べれば少ないだろう。ただし、濃度と密度の濃い結晶を育んだTribeはシネコンに比べて圧倒的に形成される。

日本にも海外にもレーベルによるブランドや信頼というのは確実に存在する。
キリがないので、いくつか代表的なものだけに絞るが、
例えば残響recordRallye Labelを始め、海外ではkitsuneWARP,hostessなど、そのレーベルだから、そのレーベルならというTribeがあって、そこに集う人々がリアルで、ソーシャルメディアでつながり合っている。

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ひとつの世界観か、多様な世界観か

インディーズのレーベルか、メジャーの中のレーベルかによっても方法論は違ってくるだろうけど、主に方法はふたつだ。

ひとつはレーベルの世界観を確立し、そのレーベル内のアーティストなら間違いないといった「ブランドレーベル型」

例えば、前術したRalley Labelならある種、楽曲性や世界観が近いアーティスト、すなわち「Ralley Labelならこういう感じだよね」という空気づくりを行い、そのレーベルのイメージを打ち出す方法。つまり、楽曲やアーティストの世界観がレーベルのイメージへと同一化していくこと。

ただし、問題はそれを認識しているのは極僅かだということだ。一部のコアなファンを除いてほぼ知らないと言っていいだろう。それをソーシャルメディアの力を用いてTribeを生み出し、つながりを可視化させ、レーベルとユーザ、ユーザとユーザをつなげる。

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2つ目は世界観や楽曲性はバラバラだが、ひとつのアーティストや楽曲から横に広がり、違うジャンルの音楽を触れ合う機会を提供する「セレンディピティレーベル型」これはあらゆる切り口の中からレーベルへとつなげるパターンだ。

例えば、ワーナーミュージック・ジャパン内にあるUNBORDEというレーベルはandropやきゃりーぱみゅぱみゅ、RIP SLYME、神聖かまってちゃんなど多種多様なジャンルのアーティストが所属している。どれも素晴らしいアーティストばかりだ。

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andropファンからきゃりーぱみゅぱみゅへ。きゃりーぱみゅぱみゅから神聖かまってちゃんへ。「あそこのレーベルだと面白い音楽に出会える」という空気づくりを行い、ひとりのアーティストがハブになり、音楽の広がりをつなげていく方法。

ただ、このやり方にはリスクもあって、それぞれのアーティストの世界観とは違うファン層がついてしまう可能性も孕んでいるという点。しかし、エレクトロを聴く人がエレクトロしか聴かないことはないように、中心となるジャンルはあれど、人はもっとたくさんのジャンルを聴いているはずだ。意識的かどうか別として。そして、同時にクワトログラフを最大化させ、音楽以外からの切り口も用意する

ソーシャル時代において、届けるべきは主語はレコード会社ではない。アーティストもしくはレーベルだ。

レコード会社ではTribeを作ることは相当難しい。エンゲージメントできる要因が少ないからだ。しかし、レーベルならそれは可能だ。
アーティストのTribe。それが横に縦につながり、ひいてはレーベルのTribeが生まれれば、相互作用のTribeのリングが生まれ出す。

まだまだアイデアベースだし、問題点はたくさんあるだろうというのは理解している。
超えなければいけない点も多い。

ただ、これだけ音楽が細分化されていく時代で、もしかしたら音楽を届ける方法は原点回帰していくのかもしれない。

レーベルを打ち出すというのは昔からあったことだ。
何も目新しいことではない。クリエイションやモータウン、ファクトリーは圧倒的だった。そこには絶大な信頼と期待があった。

あそこなら世界を変える音が聴けるのではないかという想いがあった。
あそこなら人生を変える音に出会えるのではないかという想いがあった。

けれど、それは今までコアなファンだけのものだった。レーベルなんて音楽的関与度の低い層からすればどうでもいことだった。しかし、いま音楽が解体され、分解され、細分化しているからこそ、もう一度そこにひとつの可能性を見出したい。

レーベルを強く打ち出す。
それをソーシャルメディアを用いてそんなことを欠片も考えたことがない人たちや知らない人たちに対して、届ける、伝えることができる土壌は整っている。そこをひとつのターミナルとし、発信するだけでなく、つなげる。同時にこの場所でまとめる。外に広げながら、外のものを取り入れる。『共有』される広場を創りだす。そして、レーベル自体をいかに知ってもらうかの設計も重要だ。

どれだけ100人のTribeを作り出せるか。そして、その100人のTribeのリングをかけ合わせていけるか。そこにはソーシャル時代のレーベルのあり方というのも密接に絡んでくると思うのだ。『100Tribe』を最適化させるためにはレーベルは実現有用性は高い。

それはtwitterアカウントやfacebookページやその他のソーシャルメディア、自社サイトも含めた包括的な戦略が必要だ。

もちろん、レーベルに所属していないアーティストもいるだろう。
なので、これがすべての解決策ではない。可能性のひとつのはなしだ。
また、音楽+アルファを提供するようなレーベルもあるが、それはまた別の機会で考察する。

もっとひとつの音楽からつながりを。
もっとひとつのアーティストから出会いを。

音楽がもっともっと人々に伝わるように、願ってやみません。


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