共有できる価値は音楽を拡大させる

2012年最初のブログです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今回は自分の経験からのパーソナルな話になります。
よって、多くの人に適用されるのかは考えなければいけないと思っています。

さて、2011年12月14日。Googleが2011年を総括する動画を公開した。
『Zeitgeist 2011: Year In Review』

2011年の熱狂したことも、楽しかったことも、悲しかったことも全部ひっくるめて
制作された動画は大きなバズを巻き起こし、2011年1月13日現在、750万回再生されている。

今日はこの素晴らしい動画に音楽を載せたMat Kearneyから共有できることの価値を考えてみる。

音楽を囲い込まないことで、きっかけが生まれる

そもそも僕はMat Kearneyを知らなかった。
まずソーシャルメディア上で(facebook)で『Zeitgeist 2011: Year In Review』の動画がフィードに流れてくる。その動画と合わせて自分のソーシャルグラフ上の友人たちが「泣ける」「感動した」「必見!」と情報+感情を加えてソーシャルメディア内で投稿する。

次々と流れてくるフィードの中で、この情報は信頼する友人たちの感情からノイズではなく、「見たほうがいい動画」として自身の中で判断される。

そして、『Zeitgeist 2011: Year In Review』が始まる。
素晴らしい映像と編集でソーシャルグラフの友人と同じく泣きそうになる。
合わせてこのCOLODPLAYにも似た素晴らしい音楽はなんだとここで初めてこの楽曲に興味を持つ。しかし、それはアーティスト名も楽曲名もわからない状態だった。

ここでの音楽とのファーストコンタクトはクワトログラフの中でいう
「音楽以外から音楽を知る」に該当する。今回で言えば映像になる。
同時にITやソーシャルメディアに能動的に接している層へのアプローチも結果的に可能になった。

その後、僕は興味はあったものの検索をせず、「誰だろうなあ」という思いから
結局、Mat Kearneyまでたどり着くことはできなかった。

年が明けた2012年、再び僕はMat Kearneyを知ることになる。それはソーシャルグラフ内の友人(実際にはリアルで話していたときだが)音楽の話の中で最近何を聴くのかという流れから、彼がMat Kearneyの名前を出してきた。

「だれ?」
「あれっすよ。去年バズったgoogleの動画の音楽の人っすよ」
「coldplayっぽい声のやつでしょ?」
「そうそう、それです」

ここで、今度はクワトログラフ内の「人から音楽を知る」から再会する。

後日、改めて『Zeitgeist 2011: Year In Review』を見る。
今度は映像よりも音楽に意識を傾けながら聴く。素晴らしいと感じる。
音楽は共有された。しかし、Mat Kearneyの名前を知らない僕は以下のように検索をする。

「Zeitgeist 2011: Year In Review 曲名」
そこで、Mat Kearneyの名前と曲名を把握する。

共有できる価値から音楽を消費する流れ

さて、ここまでにこのMat Kearneyの『Zeitgeist 2011: Year In Review』の楽曲を聴きたいがために相当なアクションを行なっている。
それは僕自身が『Zeitgeist 2011: Year In Review』の映像を通して、この楽曲に共感を引き起こし、感情を揺さぶられ、自分ゴト化したからに他ならない。だからこそ、動く。

そして、ネット上には同じような思いを抱えた人(Tribe)が存在する中で、僕のニーズを具現化してくれる人が存在する。(リーダー)そこで、その方のブログでようやくMat Kearneyというアーティスト名と曲名を知る。『Sooner Or Later』という曲だ。

次はSpotifyで検索をする。ヒットする。フルで聴く。名曲だと共感する。
そこからMat Kearneyの他の楽曲を聴き始める。新しい発見がある。
しかし、ここまでの行為は日常的に音楽的関与の高い人間が行うアクションだ。

日本ではまだSpotifyが展開されていないが、仮にSpotifyのようなサブスクリプション(定額制)のサービスが普及していけば、月額で支払っているため、大概のユーザはここで音楽を金銭消費する行為は終わる。僕はCDを買う人間なので、ここから更にCDという形になるが、多くの場合はそうはならないだろう。
spotify.png
クワトログラフから音楽を消費するまでは大きく分けると4つの流れに分けることができる。

①『Zeitgeist 2011: Year In Review』から興味を持ち、この動画をBGMとして音楽を共有する人/無料音楽サービスを利用する人
→音楽にお金を支払わない
②何かしらの方法でアーティストと楽曲名を知り、Mat Kearneyの『Sooner Or Later』を単曲買いする人
→少額のお金を支払う
③サブスクリプションでMat Kearneyの『Sooner Or Later』含めた楽曲を聴く人/無料版を聴いている人
→定額制のお金を支払っている/お金を支払わない
④CDとして、購入する人
→お金を支払う

当然、①→④の過程に進めば進むほど、その割合は小さくなる。
それは音楽の関与度も関係するし、webやソーシャルの使いこなしにも関係する。
それぞれ連動することもあるし、連動しないこともある。
しかし、多くのユーザは①で音楽を共有して終わる。

すると、「これじゃ売れないじゃないか」となるが、それは間違いだ。
そのユーザたちはもともと音楽にお金を払わない。共有されようがされまいが変化は微小だ。
むしろ、共有されることで、広がるチャンスのほうが多い。
音楽は解放することが、音楽を引き寄せる。

音楽は『共有』されるべきだ。その意味ではクワトログラフを活用して
Mat Kearneyの『Sooner Or Later』を無料で聴けることは非常に価値のあることだ。
だからこそ、僕はこのステキな音楽を知ることができた。

音楽は聴かれて初めて光を放つ。

ソーシャルメディアを活用することで、音楽的関与の高い層には今まで通り購入(購入パターンはもっと細分化しなければならない)させながら、音楽的関与の低い層をいかにしてライトファンにさせるか、ひいては音楽を購入するところまで持っていくか。そのときにソーシャルというツールは大きな価値を生む。

音楽は「聴いてもらうもの」

まずは「聴いてもらえること」
音楽は「聴いてもらう」。そのあとに全てが始まる。
音楽を解放しよう。もちろん、権利の問題はある。それはもう重々承知している。

しかし、音楽を共有することで生まれたチャンスを最大化させる。
クワトログラフで共有と共感の架け橋を作る。
音楽的関与の高い層への購入までのアプローチを最適化させる。
ソーシャルを用いて、音楽的関与の高い者同士をつなげる。
ソーシャルから音楽的関与の高い層から音楽的関与の低い層へつなげる。
自分ゴト化から仲間ゴト化へ広げる。

まず素晴らしい音楽がある。
だからこそ、広がる。伝わる。聴かれる音楽がある。

ユーザの中で自分ゴトされた音楽は長く聴かれる。
リアルやライブという共鳴を生み出せたとき、それはまた多くのコアファンを獲得する。
そして、そのエバンジェリストがまたソーシャルで想いを、感情を、体験を、共有する。
そのサイクルがまたライトファンを生み出す。

Googleの『Zeitgeist 2011: Year In Review』から知ったMat Kearneyは『Sooner Or Later』だけでなく、素晴らしい音楽を奏でている。今日も僕は聴いている。早くライブが観たい。そして、その想いをソーシャルに吐き出す。僕自身も。他のファンの人も。

あのGoogleの動画の音楽だよ、と。
COLDPLAYが好きならおすすめだよ、と。

そうやってファンからあらゆる切り口でMat Kearneyが広がっていく。
リアルもソーシャルも含めて。

世界のどこかで誰かがMat Kearneyを気に入ってくれたらいいなあという思いも込めて。
2012年、またひとつステキな音楽に出会うことが出来ました。


こちらの記事はTMHブログポータルの方にも転載いただいております。このブログは個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。