「音楽の聴き方は自由だ」と伝えるフェスビデオのあり方

さて、いよいよ夏フェスシーズンが到来する。
ビックビーチフェスやタイコクラブ、グリーンルームフェスティバルなどはすでに開催し、ここから本格的に夏フェスの幕開けだ。

フェスというのは、とても様々な人が参加する。
毎年参加している人、数回参加したことがある人、他のフェスには参加したことがある人、そもそもフェスそのものが初めての人。

そういった中でフェスビデオというのは、どのような役割を果たすのだろうか。
今回はフェスビデオについて考えてみたい。

フェスビデオのターゲット設定

そもそもフェスビデオを見る動機は何か。それはそのフェスの雰囲気を感じるためだ。
フェスというのは音楽を体感する場所以外にもそのフェス自体の空間全体を楽しむもので、それをいかに伝えることが重要な役割になる。

その際、フェスビデオを見るターゲットは誰を想定しているのかはフェスビデオの作り方、編集におおいに関わってくる。それに対して今の各フェスのビデオはきちんとターゲット設定をできているだろうか。そういった意味では、基本的にフェスビデオのターゲットは顕在層(フェス初心者)をメインターゲットにするべきだ。

リアル、ソーシャルメディアを通したあらゆる認知経路でそのフェスの存在を知り、どういったものなのか、どういった場所なのか。それを事前に知れることは予習も含めて価値が大きい。

しかし、多くのフェスビデオは音楽そのものに主眼をおいた編集になっている。
もちろん、音楽が主役であることは間違いないのだけど、その「見せ方」に工夫が必要だ。

例えば、多くのフェスビデオはオーディエンスが凄まじい数で熱狂的に踊っているシーンを編集の中心軸に置く編集をすることが多い。それがフェスの熱狂さや熱量をわかりやすく伝えることができるからだ。

一方、フェスに参加したことがない初心者からすると、その熱量やオーディエンスに疎外感を感じてしまう可能性を秘めている。

「自分もああいう風にしなければならないのか」と。

フェスビデオで最も訴求しなければいけない点は「音楽の聴き方は自由だ」ということだ。踊り狂ってもいいし、寝ながら聴いてもいい。ルールは存在しない。それをいちばんに伝える必要がある。そして、ゴールは期待感を醸成し、参加してみたいという意識変容を促すことだ。

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音楽以外にも食事や風景、ファッション、キャンプなどフェスにまつわる様々な価値を訴求したほうがいい。しかし、多くのフェスビデオはライブ以外のものは一瞬一瞬のインサートでしかなく、その部分の編集度合いの比率を高めることがフェス参加のハードルを下げることに寄与する。

フェスの魅力を参加不参加問わず訴求するコーチェラのフェスビデオ

目指すべきはフェスに初めて参加する母数を増やすことだ。リアルこそ『共鳴』が起きる場所だから、そこに参加することは音楽的関与の向上を引き上げることができる。だからこそ、そのフェスに参加するハードルを取り除いてあげる施策のひとつとしてフェスビデオは存在する。

そして、忘れてはならないのがフェスに参加した人が回想する、再体験するツールとしてフェスビデオは寄与する。それがフェスビデオの役割のふたつ目だ。

忘れられない一瞬を映像で追体験する。生で見たアーティストや感情が再燃する。一緒に行った友達との記憶が刻まれる。音楽以外のエピソードも数多くあるはずだ。それを設営中やフェスの最中、参加者のコメントなど細切れにして数本映像をアップするよりもひとつにまとめて見てもらったほうが分散化せずに済む。

フェスに参加したことがない人は、「行ってみたい」
フェスにわけあって行けなかった人は、「来年こそは」
フェスに行った人は、「楽しかったなあ。また来年も行きたい」

このようにフェス参加不参加問わず集約することで、フェスの魅力を一本に凝縮したフェスビデオがソーシャルメディアで『共有』される。そして、それはまたソーシャルグラフ、インタレストグラフの中で伝搬し、エヴァンジェリストが友人を誘うツールとしても機能する。

その中でCoachellaのフェスビデオは秀逸な作りになっている。
Coachella2010と名付けられたフェスビデオは完全に「コーチェラ・フェスティバル」に着眼点を置いている。「音楽ライブ」に着眼点を置いていない。

コーチェラ・フェスティバル全体を楽しめるようになっているからこそ、コーチェラ・フェスティバルを愛するファン増え、コーチェラ・フェスティバルに参加する母数が増えていく。そして、このビデオがソーシャルメディアで『共有』されることで、『共感』し「自分ゴト化」し、友人に伝え合うことで「仲間ゴト化」が生まれる。

フェスビデオの役割はフェス初心者である顕在層に向けて参加ハードルを下げ、そしてフェスの多様性を訴求するのがひとつ。もうひとつは参加不参加問わずフェスそのものの魅力を訴求するのが2つ目だ。

もっと音楽を日常の国へするために、もっと音楽に時間を頂くために、もっと音楽カルチャーが根付く国にするためにフェスが担える役割は大きい。決して安い金額でないし、フェスに初めて参加する人の多くはソーシャルグラフからの影響が強い。
余談だが、弊社でも有志でなかなかの人数が今年Summer Sonicに参加する(参加者のほとんどが初参加)

ソーシャルグラフのちから、アーティストのちから、そしてフェス自体のちからを集合させて訴求することで参加ハードルを超えるようにすることが重要だ。

そのときにフェスビデオが果たせる役割は大きいし、映像だから伝えられることができる。フェスビデオのあり方はもっともっと変化できる。音楽を日常の国へすることができる大切な一翼を担っている。

だって、あんなに楽しい空間はそうないし、それを知らないのは勿体無いと僕は思っている。音楽の聴き方は自由だ。ルールなんて存在しない。だから、フェスって素晴らしい。

それをコアファンだけでなく、顕在層からレイヤーを引き上げることで、音楽がひとりひとりにとってなくてはならないものになっていけば、今まで以上に音楽は光ることができる。そう信じてやまない。

そして、今、僕はフジロックへ思いを馳せ、アーティストが被りまくってることに嘆いているのである。


ソーシャルメディアと音楽ビジネスの書籍を夏に出版します。詳細は本ブログにて発表いたします。


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