日本で権威ある音楽アワードが必要な2つの理由

日本で音楽が90年代のように個別のアーティスト単位ではなく、もっと大きな括りの「音楽」が共通言語として機能するために、音楽アワードの存在は決して無視できません。そこで、今回は権威ある音楽アワードが必要な2つの理由を考えてみます。

 ①  「誰もが聴くべき、聴いておくべき曲」をつくる土壌の欠如

語弊があるかもしれませんが、日本には権威ある音楽アワードが存在しないと思います。

日本有線大賞も日本レコード大賞もその他の賞も正直に言って「権威ある」とはもはや言いがたいのではないでしょうか。ここでいう権威とは、主催者ではありません。生活者にとって「聴くべき、聴いておくべき曲」となる信頼性を担保した賞ということを指します。残念ながら日本有線大賞も日本レコード大賞も明らかに昔に比べてその権威は変化したと言わざるを得ないでしょう。

唯一、「誰もが聴くべき、聴いておくべき曲を作り出す」状態に近いのは紅白歌合戦と言えますが、2013年の紅白歌合戦はあまちゃん効果もあってレアなケースです。時代の変化によって、紅白歌合戦の存在意義は大きく変化していると言えます。

つまり、売上実績だけでなく、それこそ本当に審査員などがいいと言える、そして、そこから売上が伸びるような音楽アワードが日本ではほぼ皆無といえるのは、日本が文化として音楽が根付いていないことにも密接に関わっているのではないかと考えます。

 ②  テレビ番組に比重を置きすぎている音楽番組と音楽アワード

日本で音楽を中心したアワードやイベントを主催する場合、基本ベースとなるのはテレビ番組です。テレビのメリットは不特定多数に一気に情報を伝えることのできるチカラとその影響力にあります。

一方で、テレビ番組になる以上、どうしてもコンテンツパワーを持っているアーティストのブッキングになります。それが悪いとは思いませんが、それとは別にもっといま、コンテンツパワーを持っているアーティストではなく、賞によってコンテンツパワーを持つようになるアーティストの立脚が必要なのではないでしょうか。

音楽の評価なんて人ぞれぞれです。しかし、今の日本の音楽賞はあまりにもいま、コンテンツパワーを持っているアーティストに比重を起きすぎていて、新しいアーティストが一気に花開く機会が皆無というのが、現状になってしまっています。

アメリカのグラミー賞のように権威があり、ここで評価されることによってアーティストが花開くような賞を日本でも生まれていくことが重要です。

現に2013年12月に第56回グラミー賞の各部門ノミネーションが発表された際、「最優秀ダンス/エレクトロニカ・アルバム賞」にノミネートされたアメリカ人エレクトロニック・アーティストPretty Lightsのアルバム「A Color Map Of The Sun」という作品があります。

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この部門は他にダフトパンクの「Random Access Memories」、Disclosureの「Settle」、カルヴィン・ハリスの「18 Months」、Kaskadeの「Atmosphere」とどれもEDMシーンの大物ばかりが顔を揃える中、知名度も他にノミネートされているアーティストから見れば明らかに見劣りしますが、グラミー賞はPretty Lightsのようなアーティストを世の中に引き上げる素晴らしいアワードといえます。日本で同じことが出来るでしょうか。

このPretty Lightsの詳細は音楽ブロガーでもあり、友人のジェイ・コウガミさんの記事に詳しく書かれています。

参考:All Digital Musicダフト・パンクと並んだ! グラミー賞にノミネートされたビートメイカー「Pretty Lights」、なんとアルバムはフリーダウンロード配信!)

日本に権威ある音楽賞を作り出すことが、音楽を復権する強い武器になるはずです。日本に正真正銘のグラミー賞をつくる。それくらいの気概が必要です。テレビのチカラは「世の中ゴト化」する上で、(仲間ゴトであればいらないかもしれません)影響力やもちろん重要だが、大切なのは「誰もが聴くべき、聴いておくべき曲を作り出す」共通言語を生み出す土台になるものを構築することです。

「CDショップ大賞」や「MTV Video Music Awards Japan」などが勢いを増しています。しかし、やはりそこから「世の中ゴト」化まで持っていくためには、地上波のテレビのチカラは当然ながら、ソーシャルメディア、PRのチカラが欠かせません。(MTVVMAは有料チャンネル放送局なので難しいかもしれないですが・・・)

時間はかかるものですが、古い慣習を背負っているあいだにも生活者はどんどん音楽への関与度を下げていってしまいます。イノベーションを起こすためには、各自が縄張り意識を振りかざすのではなく、もっと連携して新しいシーン、アーティストの創造から生み出されるビジネスに着眼して、トライをしていくことで芽吹く未来もあると信じてます。

本屋大賞の影響力

本屋大賞がなぜ、ここまで一般化したのでしょうか。本屋大賞でなぜ、ここまでモノが動くようになったのでしょうか。それはPRを中心にした生活者への接触ポイントと信頼度の増加、受賞した作品の売上増加、そしてニュースがあったからです。

一般的に人は同じ情報に3回出会うと信頼すると言われています。そういった意味では結果的にかも知れないですが、本屋大賞はうまくPRを活用しました。加えて、映画化というニュースを作り出せる点からも、音楽より先に一般化したのは必然といえるかもしれません。

近年は受賞するクオリティに関して是非を問うような話も聞こえます。しかしそれでも、本屋大賞はPRによって、空気づくりを世の中に醸成させました。そして、「世の中ゴト」化を達成し、多くの小説ファン以外にも「誰もが読むべき、読んでおくべき本」という認知と意識化を成し遂げたといえるのではないでしょうか。

ただ、賞の権威の本質が曖昧や不安定なものなら、それもまたすぐにソーシャルメディアを中心に表層化し、暴かれます。嘘や偽物はソーシャルメディアでは通じません。

ほとんどの街にある本屋と違い、ほとんどの街にCDショップはありません。とはいえ、デジタルに関しては書籍よりも圧倒的スピードで音楽は浸透しています。切り取る視点を変えることで、ビジネスチャンスも増える可能性を秘めています。

最近でも「ネットの音楽オタクが選んだ2013年の日本のアルバム」が話題になっていました。また、iTunesが“今年ブレイクが期待できる新人アーティスト”を選出する恒例企画「ニューアーティスト 2014」のラインナップを発表しました。ここからは過去にサカナクション、相対性理論、さかいゆう、andymori、back number、androp、家入レオ、tofubeatsといったアーティストが選ばれ、ブレイクしています。

トップダウンでも、ボトムアップでも構わないと思いますが、正当に音楽が評価され、世の中に現れる仕組みは生まれて来るべきです。そして、それが「世の中ゴト」のレベルで、です。「戦略PR」とソーシャルメディアを掛けあわせることで、日本で権威ある音楽アワードが生まれてくることは、音楽が昔のように共通言語として機能する一翼を担っていくはずです。

27日(日本時間)からいよいよグラミー賞の発表です。どんな作品が受賞するのでしょうか。また、グラミー賞によってどんなアーティストが世の中に今一層羽ばたくもしくは、登場するのでしょうか。楽しみでなりません。ダフトパンクのパフォーマンスも楽しみです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。