累計2000万部の大ヒットマンガ『キングダム』に学ぶ“高濃度シェア”の作り方

 

『キングダム』が愛されるために超えなければいけなかったハードル

キングダムは中国の春秋戦国時代を舞台にしたマンガです。古代中国史をテーマにしたコンテンツはもはや飽和状態にあるといえます。古くは『三国志』『封神演義』『水滸伝』などに始まり、現代に至るまで、小説、マンガ、アニメ、ゲーム、映画と、さまざまな形態で数え切れないほどの新たなコンテンツが生まれてきました。新旧の競合する作品が多くある中でヒット作となるのは並大抵のことではありません。

競合が多いだけではなく、キングダムには他にも幾つかの超えるべきハードルがあります。まず1つは、結末があらかじめ決まっていることです。歴史物語をベースにしている以上、物語の流れを変えることはできません。人気キャラだからといって、殺される者を生かしておくこともできませんし、勝手に復活させることもできません。

次に画のタッチです。キングダムは、決して万人受けする画ではありません。音楽もそうですが、エンタテインメントの多くは、直感的に好き嫌いを判断される傾向が強い分野です。「画が嫌い」「声が嫌い」「しゃべり方が嫌い」といった消費者の判断は、理由なき直感によって生まれます。

「嫌いになる前にまず物語を読んでから」とか「まずは音源を聞いてもらってから」というのは正論ではありますが、好き嫌いは理屈ではありませんから、コンテンツに接触する前に敬遠されてしまうケースがあるのはどうにもなりません(実は僕も第1巻発売時には画で敬遠してしまいました……)。手に取る気さえ起きない層を振り向かせ、作品の世界に引きこむのは、なかなか大変なことです

最後に文字量の多さ。作品の性質上、キングダムには多くのキャラクターが登場します。しかも舞台は古代の中国ですから、登場人物の名前も難しい漢字がいっぱいです。また、時代背景などの説明もそれとなく盛り込まなければいけないので、文字量(せりふやト書き)はどうしても膨大になります。そのため、斜め読みがしにくいのです。

じっくり読ませるタイプの、摂取や関与に時間がかかるタイプの情報を僕たちは「噛(か)む情報」と呼んでいます。反対に、すっと吸収できるのが「飲む情報」です。スマートフォンの普及によって、噛む情報に心理的ハードルが上がっています(この連載も噛む情報です)。今の時代に圧倒的に好まれるのは飲む情報です。ニュースでも長文の記事より「LINE NEWS」のように、スクロールせず一瞬で読み終わるようなスタイルが人気です。また、「livedoorニュース」の「ざっくり言うと」のように、編集者のまとめを冒頭に持ってくるなどより一層、飲みやすさが追求されています。そんな中で、あえて噛む情報をしっかりと読ませることは、新聞であれWebの連載であれマンガであれ、簡単ではありません。

しかし、それでもキングダムはそれらのハードルを越えていき、2000万部を超える大ヒット作となりました。

作品自体の魅力

キングダムは、後に始皇帝となって中国を統一する秦王・えい政と、大将軍を目指して低い身分からのし上がった少年・信(しん)の活躍を描く物語です。

エンタテインメントのヒットを分析する際にコンテンツ自身が持つ魅力を分析することは非常に重要です。どんなに秀逸なマーケティングを仕掛けても、仕掛けるコンテンツそのものが貧弱であるならば、それは多くの人に受け入れられることはありません

では、キングダムの魅力とは何でしょうか。

1つは圧倒的に魅力的なキャラクター造形力と設定です。主人公の信や後に始皇帝となる政、国に使える将軍たちなどを丁寧に描くことで読者の共感を生み出し、没入感を作り出します。登場人物全てが主人公になり得るほどの深い人生観や生き様、哲学を備えており、ミクロとマクロを自在に往来していきます。また、戦を描く際にも、一兵隊である主人公の信の目線を通じて見ることで、関ヶ原の戦いをはるかにしのぐ20万人規模の戦闘場面でも現実感を失うことがありません。

そして、フィクションと史実のバランスの良さです。先ほど述べた通り、歴史を扱う時点で物語の結末は見えています。だからこそ作者の原 泰久氏は、史実に書かれていない「想像の余白」の部分を描き出すことで、エンタテインメント性を高めています。

ここまで、コンテンツ自体の魅力を僕なりに簡潔にまとめてみました。しかし、本題はそこではありません。ここからは、その素晴らしいキングダムがなぜ、2000万部を超えるヒットになったのかを考えます。

“高濃度シェア”を作り出せば、世の中が動き出す

実はマーケティングを考えるとき、エンタテインメントにだけ発生する事象があります。それは客観的評価より1人の熱量の方が有効に機能することです。

例えば、掃除機で考えてみましょう。僕が掃除機の購入を検討中とします。僕の20年来の友人がAという掃除機を猛烈にお薦めしてくれているのですが、「価格.com」で見てみると、「買う価値無し」「お金の無駄」など、全くいい評価がありません。さて、僕はこの掃除機を購入するでしょうか。恐らく購入しません。なぜなら、どんなに関係の深い友人でも、彼は掃除機の専門家ではないからです。そして、掃除機は機能や価格で相対的に評価できます。つまり評価に占める主観の割合が客観の割合より高くなるタイプの商品といえます

一方、マンガや映画、音楽、ドラマ、舞台など(つまり、エンタテインメントと呼ばれる分野)では、客観的評価よりも、そのコンテンツに対して熱量を持ったユーザーの主観的な評価が、ゆっくり大きな影響力を持ちます。主観的で強烈な熱量があるユーザーの口コミの有無が、コンテンツのヒットを左右するのです。

キングダムの単行本が200ページで555円(税込み)だからという理由で買う買わないを決めることはまずありませんが、友人が「いいからだまされたと思って読んでみろ」「3巻まで読んでつまらなかったら、無駄にした時間分は俺が代わりに残業する」「歴史好きでキングダムを読んでない奴に歴史を語る資格はない」などと熱く語ってくれば、読まないわけにはいきません。かくいう僕も、ある友人から強烈にキングダムを推奨され、「まあ、そこまで言うなら」と読み始めた結果、今やキングダムがバイブルとなったのです。

強烈な個人の主観的熱量が新たなファンを巻き込んでいくことで広がっていくのがエンタテインメントの特徴です。最初から万人受けするような作品でなくても、その価値を高く評価する人が口コミでそれを広めていくことで、熱量が伝染し、大きなブームへと育つことがあるのです。これを僕は“高濃度シェア”と呼んでいます。高濃度茶カテキンみたいな言葉ですが、キングダムにおいても、日本中で同時多発的に高濃度シェアが起きていたと思います。

話題を作る方程式

リアルであれソーシャルメディア上であれ、熱量の高いユーザーをいかにして生み出すか、見つけ出すか。熱量の高さを倍増させられるか。その際にどんな手段を選ぶか。テレビCMか、Twitterか、PRか、OOHか、イベントか。それらをそのように連動させるのか。どういうコンテクストでそれを行うのか。

話題の影響範囲を設計するときに、「自分ゴト化」から発生した熱量をソーシャルメディアが得意とする「仲間ゴト化」に移行させ、世の中の誰に話しても知っている「世の中のゴト化」に到達させるためにマスメディアを活用するというのは「話題を作る方程式」ともいえます。

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キングダムもまずは強烈な個人の主観的熱量を生み出し、ファンが語り出すトーカブルな要素をソーシャルメディアとPRによって増幅させ、マスメディアでスパークしました。2015年5月にテレビ朝日系で放送された「アメトーーク!」の「キングダム芸人」の回を見た人は分かるかもしれませんが、ケンドーコバヤシ他の芸人が強烈な個人の主観的熱量で語るキングダム。これこそが高濃度シェアです。そして、これはエンタテインメントの分野にしか起こりにくい現象なのです(余談ですが、番組放送終了後、「Amazon.com」でキングダム全巻セットが売り切れになるという事態が発生しました)。

高濃度シェアを生み出すためには、コンテンツそのもののクオリティはもちろん欠かせませんが、ファンがそのコンテンツの何をどのように語るのかを設計することも重要です。もちろん、口コミをコントロールすることはできません。しかし、語るべき要素を用意しておくことはできるはずです。キングダムでも2012年に、テレビアニメ化を記念して、全26巻(当時)の全コマを1000人で分担し、模写するという企画が実施されたことがあります。「ソーシャルキングダム企画」と名付けられたその企画はWeb上で展開し、原 泰久氏の師匠である井上雄彦氏や『ONE PIECE』の尾田 栄一郎氏、『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木 飛呂彦氏なども参加して非常に話題になりました。最終的には1087人の参加者を募り、「ギネス世界記録」として認定されています。そのときのニュースでキングダムを認知した人もいるのではないでしょうか。

今回はキングダムをテーマに高濃度シェアについて掘り下げてみました。マンガに限らずエンタテインメントのマーケティングにおいて、コンテンツのどの部分の魅力を武器とし、設定したターゲットに対して強烈な個人の主観的熱量をどう付与させるか。つまり、高濃度シェアをどうやって生み出せるかを考えることは、重要ではないかと思います。

集合知より1人の熱量が有効に機能するのは、エンタテインメントの特徴です。ファンが「熱狂する」要素とマーケティングで打ち出す要素が一致したとき、そこに大きなうねりが起きるのではないでしょうか。

現在、43巻の展開が楽しみでなりません。そして、山崎賢人さんが出演している動画プロジェクトも今後の展開が気になります。

この記事はITmediaにて連載中の「次世代エンタテインメントマーケティング」の第ニ回を転載したものです。最新記事は、「岩井俊二監督が教えてくれた、ユーザーを熱狂させる世界観の作り方」です。よろしければ御覧ください。