可処分精神の奪い合いを制する者がゲームを制す?【前編】

世の中は情報やコンテンツに溢れています。
好きなもの、好きじゃないもの、興味があるもの、興味がないもの。
それらがときに仕組み的に、ときに唐突に届けられます。

どの企業であれ(主にBtoC)は可処分時間をいかに獲得するか。限られた可処分所得の中で自社を選んでもらうかにしのぎを削っています。

今後、重要となる概念「可処分精神」と言われているものがあります。可処分精神と呼んでいるのは、SHOWROOM代表の前田氏です。彼の東洋経済のインタビュー「GAFAには、弱点があると思う」「可処分精神を奪い合う時代が来る」の前後編から、僕も考えたことを前後編に分けて書いていきたいと思います。

可処分精神の時代だからこそ、音楽やエンターテイメントが必要となる

これから重要となるであろう考え方が「可処分精神」であるとSHOWROOM代表の前田氏は東洋経済オンラインのインタビューで述べています。

可処分精神を奪う、とは何か。一言でいうと、「つい、そのことばかり考えてしまう」状態にするということです。より具体的にイメージするためにわかりやすい例を挙げるとすると、恋愛や宗教があります。たとえば恋愛なら、好きな人ができると、その人のことばかり考えて仕事に本腰が入らなくなったり、学校にいても授業が頭に入らなくなってしまったりします。好きな人に可処分精神を奪われているのです。宗教もよく似ています。教義が行動原理として身体に染み込んでいるので、いつ何時も、そこに立脚して意思決定をすることになります。多大に精神が割かれている状態ですね

仮にこの可処分精神の時代が到来すると考えると、普段「そのことで頭がいっぱい」な状態を獲得した主体にこそ勝機はあるということです。

そこで、僕らの日常でふと考えてみるわけです。「自分の可処分精神を占めているのはなにか」です。僕は生きていく上で必要であり考えなければならないものではなく、自分の人生をよりよくしてくれる、自分の人生においてかけがえのないもの、自分の生きる指針、活力となるもの、それが可処分精神の正体だと考えます。

SHOWROOM代表の前田氏は続いてこのように述べています。

たとえばフェイスブックは、可処分時間を奪っていると言えます。でも、暇つぶしの際になんとなく時間を奪われているという状態で、可処分精神までは奪われていません。フェイスブックを開く親指がワクワクして震えるなんていう人は、そうそういない。アマゾンやグーグルもそう。「帰ったらグーグルで検索しよう♪」なんて心が浮わついて、日中仕事が手につかないような人は、この世界にあまりいなそうですよね

前田氏は続けます。

アマゾンでなぜ物が売れるのでしょう? 単純です。価格や利便性を含めて、最終的には、「物」に価値があるからです。アマゾンは「人」の価値で物を売っていない。ところが最近では、「物が良いかどうかは正直わからないけど、この人が良いと言うからそれを信じて買う」という市場が成長しています。物フックではなく、人フックで物が売れるわけです。

このワクワクする、心が浮つく、日中仕事が手につかないといった可処分精神にもっとも適合しやすいもののひとつ(あくまでひとつ)が音楽やエンターテインメントなのではないかと考えています。そして、人フックで物が売れるのも音楽やエンターテインメントといった人(アーティストや監督、役者など)の特徴のひとつだと考えます。

可処分精神の多くを占める音楽やエンターテインメント

アーティストの活動を毎日毎日SNSでチェックする。ライブ発表されればファンコミュニティを回遊し、情報収集、情報交換する。ライブチケットや音源、グッズ、渡航代など「出費がかかるなあ」と頭じゃわかっているけど、可処分所得の最上位に来てお金を使う。もちろん、可処分時間も、です。

音楽やエンターテインメントは可処分精神を獲得するもっとも強力なジャンルだと考えることができます。それは音楽やエンターテインメントが人フックで自分の人生にかけがえのないもの、人生の生きる指針や活力を与えてくれるもののひとつだからだと思います。(そうではない人も当然いるでしょう)ポイントは、可処分精神の単位が音楽やエンターテインメントは固有名詞になるということです。

音楽が好き。映画が好き。まさに自分の可処分精神を占められている中でもさらに、SEVENTEENが大好き。是枝裕和監督の映画が大好きなど音楽やエンターテインメントの多くの可処分精神の単位は音楽や映画といったジャンルからアーティスト名や監督名、作品名などの固有名詞に到達します。
音楽が大好きや映画が大好きなどありますが、可処分精神の濃度は固有名詞ほど高くなります。

例えば、韓国のアーティスト「BTS」のファンは自発的にどうすれば「BTS」がランキング一位を取れるのかを事細かに分析し、ファン同士でシェアしています。これはファンの中で可処分精神をBTSで占められているひとつの証だと考えることもできると思います。

もちろん、ブランドやサービスでも同様のことは起きます。キャンプが好きな中でもsnowpeakが大好き。ビールの中でもヤッホーブルーイングが大好きなどといった具合にです。しかし、多くの企業やブランドでここまで到達するのは相当難儀です。

繰り返しになりますが、可処分精神とは「つい、そのことばかり考えてしまう」「そのことで頭がいっぱい」な状態です。自分の人生に大きな影響を与えている存在ともいえます。アーティストの活動休止や解散で涙を流すファンがいます。それは可処分精神をそのアーティストで占められているからにほかなりません。仮にブランドが閉店、倒産のような事態になったときに、どれだけ音楽やエンターテインメントのように涙を流せる企業やブランド、商品がありますか?ゼロではもちろんないと思いますが、非常に希少な存在ではないでしょうか。

○○ロスという言葉はまさに可処分精神を占められている何かが消え去ったからだと個人的には考えています。(余談ですが○○ロスと名のつくものは音楽やエンターテインメントコンテンツである場合が多いです)

SHOWROOM代表の前田氏のインタビューを読んでいると、これまで僕らがマーケティング上、考えていた可処分時間の獲得、可処分所得の獲得は実は可処分精神の奪い合いの戦いだったのではないかということです。可処分精神を獲得したモノやヒトは処分時間&可処分所得までも獲得するのではないでしょうか。

その中で音楽だけではなく、アイドルやアニメ、漫画、映画、役者俳優などエンターテインメントと言われるもの多くが可処分精神を占められたファンによって成り立っています。音楽やエンターテインメントは可処分精神を獲得する重要な役割をもたらすと考えることができます。

音楽やエンターテインメントは可処分精神を再浮上、再熱狂させることが容易

可処分精神はもっとも深く「自分の人生を占めるパートナー」レベルのものだと僕は考えています。しかし、人間ですから熱い状態、冷めた状態というのは、当然のごとく存在します。大好きだったあのアイドルがいまやまったく興味がないなんて状態はよくあります。音楽やエンターテインメントだって可処分精神の浮き沈みはあります。しかし、音楽やエンターテインメントの価値は時間軸を越えて再浮上、再熱狂することができる点も大切なポイントだと思っています。

それはたった数クリックで再浮上、再熱狂のきっかけを生み出すことができるテクノロジーの進化も併せ持ちます。今はSpotifyやApple Musicを使えば簡単にあのとき人生に大きな影響を当ててくれた音楽で再会することができます。NETFLIEXやHuluで簡単に名画に再会することができます。しかも、場合によっては無料で再会することすらできます。
音楽やエンターテインメントはたった3分で、たった2時間で人生に強く刺さることができるのも強みです。

それに比べると、仮にゴルフに再浮上、再熱狂するきっかけがあったとしても、アイテムを買い直す、練習をする、時間や場所に縛られる、調整コストが大きい(家族がいる場合などは特に)といった再浮上、再熱狂のスタートラインに立つことがそれこそ可処分所得、可処分時間の観点からも簡単ではありません。

音楽やエンターテインメントは可処分精神の割合が大きいことに加えて、可処分精神の浮き沈みをお金も時間も無理なく再会できることも有効なもののひとつです。昔好きだったものを改めて好きになる。音楽やエンターテインメントは記憶に刻むチカラがあります。これらの武器を活かすことで、可処分精神の浮き沈みを再浮上、再熱狂させることが可能になります。

もちろん、音楽やエンターテインメントが可処分精神の割合を多く占めることを証明できなければ、僕の記事は駄文以外の何者でもありません。ですが、音楽やエンターテインメントを信じるひとりとして、可処分精神の中で音楽やエンターテインメントが多く占められているという仮説というか前提にたって進めます。(ここはいつか解明したいと思っている領域です)

音楽やエンターテインメントは時間軸を超えて可処分精神を獲得できる

さて、音楽やエンターテインメントの可能性を信じる者にとって、音楽やエンターテインメントの価値は自分を形作る思想や観念を与えてくれることにあると思っています。SHOWROOM代表の前田氏の言葉を借りれば、音楽やエンターテインメントは僕らに「救済」を与えるものだと思っています。

歌い手、メロディー、歌詞、物語。それらがその時々の自分に「救済」を与える。それが人生観や活力、指針と呼び名を変え、人生のカンフル剤のように作用しています。

それが仮に10代のときに熱狂したアーティストで、いまはあまり聴いていなかったとしても、自分の下地には確実に影響を及ぼしている。その熱量はきっかけさえあればいつだって復活することができると思っています。そんなチカラをもたらすものは音楽やエンターテインメントにしかないとは言い切りませんが、そこまでないのではと思うのですがいかがでしょうか?

また、音楽やエンターテインメントは「出会ったときが新曲」という考えができます。80年代の音楽だったとしても2019年のいま出会ったのならば、その人にとって「新曲」となります。00年代の映画もいま初めて出会ったらそれは「新作」になります。

企業のプロダクトやサービスは基本進化を遂げるものであり、最新が最高の状態です。アップデートを繰り返し、常に過去よりも現在に重きを置きます。(当たり前ですが)NIKEやAdidasのようなスニーカなどは復刻というカタチで過去を掘り返すこともあります。しかし、基本的には企業の商品やプロダクトは最新が最高の状態です。

音楽やエンターテインメントはSpotify、NETFLIEXやHulu、少し前ではTSUTAYAなどのレンタルショップでいつでも過去を掘り返すことができました。この時間軸を越えて価値を生むのは音楽やエンターテインメントの特性です。

加えて、音楽やエンターテインメントは可処分精神を量産することができます。(と思っている)

例えば、可処分精神を占められているジャンルの中で、あるブランドが人生になくてはならないとします。しかし、音楽やエンターテインメント以外のジャンルは基本1ジャンル1固有名詞になるのではないかと思います。例えば、バイクというジャンルにおいて可処分精神がHONDAにもハーレーダビッドソンにもKAWASAKIにも可処分精神を奪われているバイクファンはそう多くはないのではないでしょうか。バイクというジャンルの中でもHONDAに可処分精神を占められている。もしくはさらにHONDAの中の、あるバイクについて可処分精神を占められているといった具合です。

しかし、このHONDAの中の、あるバイクに当たるものが、音楽やエンターテインメントではひとつではなく、量産することができる強みがあると考えています。

例えば、サカナクションに可処分精神を占められているファンは、ほかのアーティストやエンターテインメントに可処分精神をサカナクションに占められているからといって、可処分精神を奪われないというわけではありません。サカナクションと同列で可処分精神を占められているアーティストやエンターテインメントがあるはずです。

ここまでの流れをまとめると以下のようになります。
・これからは可処分精神の時代になる
・音楽やエンターテインメントは可処分精神を占める割合の大きいジャンルである(願望含む)
・企業において可処分精神まで到達するブランドはほとんどない
・音楽やエンターテインメントは可処分精神を再浮上、再熱狂させることが容易
・音楽やエンターテインメントは時間軸を越えて残り続ける
・時間軸を超えるからこそ、過去コンテンツが最新コンテンツになりうる
・音楽やエンターテインメントは可処分精神を量産できる(はず)

さて、ここまで可処分精神をテーマに音楽やエンターテインメントがもたらす可能性について考えてみました。僕の妄想も多分に含まれているので、いかがなものかという部分もあると思います。

でも、信じないと僕らのような仕事はやれないと思うんです。音楽やエンターテインメントは他のものには代えがたい大きな価値があること、音楽やエンターテインメントは誰かの人生に大きな影響を与えること。信じることで見えてくる、見たい未来も光始めるのではないかと思います。

後編は、引き続き、可処分精神をテーマに音楽やエンターテインメントを活用したブランドとのタイアップの未来について記していきたいと思います。

また、4月24日(水)の12時10分~12時55分に宣伝会議主催のアドタイデイズにて、宇多田ヒカルのマーケター梶望さんとデジタル音楽ジャーリストジェイくんと、このようなブログのテーマで登壇します。よろしければぜひ。

ブランドや企業のマーケティングは、音楽コンテンツで変えることができるだろうか?

最後まで長文を読んで頂いてありがとうございました。