ソーシャルによって音楽の単位を引き上げる

アーティストないしアルバムという単位でいま、人はどれだけ買うだろうか。
特に邦楽に関してのはなしだ。

私は基本洋楽中心なのだけど、今回は邦楽に特化して考えてみたい。

そもそもCDが売れないとか市場が縮小しているというのは間違いないのだけど、とはいえ世界レベルでみればまだ日本という国はCDが売れている国だ。

しかし、もはやそれに甘んじてはいられない。
日本でCD以外の方法で楽曲が売れているのはレコチョク、着うたがメジャーだが、その単位は主に「シングル」だ。

今後、特に邦楽のアーティストはコアファン、ミドルファン、ライトファン、潜在層の4階層をいかに意識して音楽を解体して、それぞれの層に音楽の種を蒔けるかが重要になってくると思う。

クワトログラフとソーシャルターミナルがライトファンを作り出す

例えば、ガリレオ・ガリレイというバンドと私自身の関係性から考えてみる。
私の最近のお気に入りのバンドだ。

まずガリレオ・ガリレイというバンドの名前を私は認知していたが、聴いたことがなかった。言ってみれば、ライトファンですらない人間だ。

しかし、あるきっかけで興味を持った。それがドラマ「荒川アンダーザブリッジ」だった。

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私はこのドラマを見ていて、この曲いいなと感じる。
つまり、音楽以外から音楽を知るクワトログラフ内のリレーショングラフのパターンだ。

検索した際、何を見るか。wikipediaとオフィシャルサイトだ。
ちなみにこれは「さよならフロンティア」の発売3日くらい前のはなし。
もちろん、ここは消費者によって違う。いきなり着うたに訪れるユーザもいるだろう。なので、あくまでひとつの例として考えて欲しい。

wikipediaでバンドの概要を知る。
オフィシャルサイトはwikipediaと内容が同一のものもあるので、そこまで吟味しない。
吟味しないということはニュースリリースも読まない。見るのはトップページとグローバルナビだけだ。

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すると、myspaceへのリンクを知る。遷移する。最新音源が6曲聴けることがわかる。myaspaceへ訪れる。しかし、ここでその6曲を聴くことはない。なぜなら、私はガリレオ・ガリレイの荒川アンダーザブリッジの曲が聴きたいからだ。

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ここでその「楽曲」に対する関与度と好意度が低ければ、その先は難しい。
重要なのはニュースリリースをよく見れば着うたフルが先行配信しているのが、わかる。Gyaoでミュージックビデオを配信しているのがわかる。しかし、関与度と好意度が低ければそこまで行かずに離脱してしまう。
手間はかけたくないのだ。なぜなら、ライトファンですらないからだ。

つまり、ライトファンの裾野を広げる方法をガリレオ・ガリレイは行わなかった。
荒川アンダーザブリッジというドラマのエンディングを担当することで、新しいライトファンが付く可能性が大いにあった。しかし、その導線を用意しなかった。
正確に言うと聴く機会が手軽になかった。もったいないなあと私は思う。

ちなみに、iTunesで検索しても出ない。ソニー・ミュージックはiTunesには出していない。しかし、いち消費者からすればそんなことは関係ない。

聴きたいと思ったその瞬間に手に入れられなかったら、それはもう意味が無いのだ。
どうしても聴きたければレンタルCDで間に合ってしまう。

以前、アーティストサイトはソーシャルターミナルを目指すべきだと書いた。
国際線の空港のように、そこでも楽しめて、発信するだけでなく、つなげる。同時にこの場所でまとめる。外に広げながら、外のものを取り入れる。『共有』される広場を創りだす。

アーティストサイトの中であらゆる無料の音楽サービス、ソーシャルメディアを選定し、連携し、導線を生み出し『共有』されるように音楽を提供する。文字と音と映像あらゆる角度からアーティスト、楽曲を訴求すること。
その中心軸としてソーシャルターミナルは必要だ。

音楽の単位を引き上げること

もしも、興味関心から3クリックで、ガリレオ・ガリレイのサイトでフルで「さよならフロンティア」が聴けたなら、もしも、ミュージックビデオがフルで見れたなら、私はライトファンになったかもしれないし他の楽曲も聴いてみたかもしれない。私の中でのガリレオ・ガリレイの音楽の単位が「アルバム」や「アーティスト」に変化する可能性だってある。

ソーシャルグラフやインタレストグラフから別の楽曲のガリレオ・ガリレイをお勧めしてくれてそこからアルバムを買うかもしれない。ライブに行きたくなるかもしれない。ソーシャルメディア上で音楽の単位を引き上げる方法論は多分にある。

ちなみに、試聴でよく多いのが途中まで聴けるというパターンだが、個人的にはあれはあまり有効性は感じない。
映画の予告編のように音楽はまとまっているわけではない。音楽はフルで聴けるべきだと思う。出し惜しみはいらない。遅かれ早かれ消費者によってアップされてしまう。ガリレオ・ガリレイのオフィシャルサイトでは「「さよならフロンティア」のミュージックビデオが途中まで見れる。権利上の問題もあるというのは承知の上で、なんとかしてほしい。ユーザ目線に立ってほしい。

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これから先Spotifyなどの登場により、音楽はより解体され、分解され、細分化されていく。そのミニマムな音楽の単位である「1曲」に消費者が「簡単に」「共有」できなければ、その先は見えづらい。それは特にスマートフォンを中心としたモバイルは加速していくだろう。

音楽を解放することは、音楽を引き寄せると書いた。
同時に音楽が解体され、分解され、細分化されていくからこそ、様々なところに、いまその瞬間のアーティストないし楽曲の種を蒔いてほしい。誰でも簡単に触れるように。

解体され、分解されている楽曲1曲から幹の枝葉のように広げていくことがソーシャルではできる。それが音源を売る、ライブで動員するにしても、まず気になった音源を共有できる必要がある。

じゃあ、どうやってマネタライズするの?という疑問にぶち当たるが、そもそも音源を聴けてない今の環境、正確に言えば、音楽を共有する環境を使っていないのに、マネタライズを考えるのは少し早い気がしている。もちろんそれなくしてはありえないわけだけど、それがCDなのか、ライブなのか、配信なのかはよく検討する必要がある。

戦略的に種を蒔いて、地道にコツコツと肥料や水をあげて、汗水たらして育てないと果実は実らない。
ソーシャルメディアでバズもバイラルもそんな簡単に起こらない。ソーシャルメディアを運用する上でチューニングはし続けないといけない。

今後メジャーもインディーズも含めて、そういったことができていったならば、ガリレオ・ガリレイをもっと「さよならフロンティア」から深彫りすることができるし、ガリレオ・ガリレイと関連性や音楽性の近いバンドを知れるかもしれないしたくさんのチャンスを生み出すことができる。

いかに音楽の単位を「1曲」から「アルバム」「アーティスト」へと拡大していけるかが重要だ。そのためクワトログラフやソーシャルメディア、音楽共有サービスを活用することは欠かせなくなってくると思う。そしてそれはアーティストサイトのソーシャルターミナル化も含めて。

ガリレオ・ガリレイを始め、日本のメジャーにもインディーズにも素晴らしい音楽がたくさんあると思うのでもっともっと音楽を解放して、戦略的に音楽の単位を引き上げる仕組みと仕掛けができたらいいなあと思っています。
そして、そのプラットフォームは整いつつある。

最後に、ガリレオ・ガリレイの関係者の方々が不快な思いをされていたら深くお詫びいたします。申し訳ございません。


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